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2017年2月2日木曜日

本当の本当は違うんだよ、のはなし


たまにふと思い出すのが伊集院光さんと立川談志さんの対談。

なぜ落語をあきらめたのかを語った伊集院光さんに対して、立川談志さんの一言を聴いてどきっとした。

かなり前に聴いた対談だから、言葉の端々は違うだろうけども話の筋はこう。

伊集院「談志師匠が僕と同じ年代のときにやった落語を聴いて、とてもじゃないけどかなわないと思ったんです。クオリティの差に愕然とし、それからしばらくして落語をやめました。」

談志「うまい理屈が見つかったじゃねえか。」

伊集院「本当です!」

談志「本当だろうよ。でも本当の本当は違う。その前にお前は落語をやめたかったんだよ。自分でも気づいていないかもしれないけど、『実力がないことに気づいた』とか『飽きちゃった』とか、そういう簡単な理由でね。もしかしたら『ただやめたかっただけ』なのかもしれない。だけど人間ってのは何の理由もなくやめるってのはカッコ悪くて出来ないもんなんだ。そこに俺の噺があった。『名人談志の噺にショックを受けてやめる』なら自分にも他人にも言い訳ができるわけだ。本当のところは『理屈なんてない』んだな。」

…どうですか。どきっとしません?

仕方がない理由があるからな、と思って諦めたこと、やめたこと…本当にそうだったんだろうか。

知らないうちに自分にすら言い聞かせてやめちゃったことがあるかもしれない。



心理学の三大巨頭のひとり、アルフレッド・アドラー。

彼が提唱した個人心理学(通称アドラー心理学)の中でも同じことを言っていたなあ、と思い出す。

"行動や感情は目的のために作り出される"

かんたんにいうと、"問題があるから目的を果たせないのではなく、目的を果たしたくないから問題を用意している"という考え方。

確か目的論だったか。

さっきの伊集院さんの場合は、自分が落語をやめたいから、談志さんという理由を用意した、ということになるのかな。


もちろん、それが正しいのかは分からない。

本当に談志さんの落語を聴いて心がポッキリなっちゃったのかもしれないし、それは誰にも分からないことなのだ。

ただ自分の行動を決定するとき、「これは本当に逃げではないのか」と自問してみることはすごく重要だと思う。

自分の決断をみて、談志さんがどう言うだろうか。

たまにゃ心ん中の談志さんと喋らにゃいかんな、と思ったりするわけである。


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