特に意味のある数字ではない。
このブログを書こうと思い立った時間だ。
今日はずっとパソコンに向かい合う、わりと平穏な1日だったけれど、今日と同じAM1:17は二度と来ないのだと思うと不思議な感じ。
意外と寂しさや感慨はない。
多分、うまく想像ができていないのだと思う。
例えば、親しい人が亡くなってしまって、二度と会えないだとか、仲違いしたせいで(おそらく)二度としゃべることができない、なんていうのは、なんとなく想像できる。
相手のことを大切に思えばこそ、悲しさや悔しさが残るだろう。
常にどのタイミングでも、とは言えないけど、いつでも時間のことは大切に思っている…と思う。
人生のことは、と言い換えてもいいかもしれない。
今こうしている間にも有限である人生を消費していっているのに、それには寂しさや感慨を感じない。
僕が言いたいのは、そういうことである。
「気がつけばあっという間」なんて聞いたりはするけれど、多分(が多いブログです)、それにまだ実感が伴っていないんだろうな。
いつかは死ぬとわかっていても、頭のどこかでは、人生は永遠に続くような気がしている。
もし寿命が尽きるタイミングがわかっていれば、過ぎゆく一分一秒に対して、人生に対して真摯に対応する姿勢で(それがどんなものかは見当もつかないけれど)、見送っていけるのだろうか。
現在、こういうことを考えるために過ごしている時間が無駄なのか有益なのかはわからない。
まず必ずしも、有益である必要がないようにも、思う(も多いブログです)。
先日YoutubeにアップロードしたPhish「Waste」の歌詞。
あれについて考えていたから、きっとこういう記事になったんだろうな。
ちょっとヘンクツな印象も受けるけれど、やっぱり友愛の曲なんだと思う。
「一緒に時間を無駄づかいしようよ」なんて、とっても贅沢でステキじゃありませんか。
−−AM2:04。
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