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2020年2月12日水曜日

書くにあたってのぐるぐる


ブログというものを始めてからもうだいぶ経つけれど、未だに書くというのは決心がいるというか、負担がかかる。
別に何も「世界が変わる」だとか「全く新しい観点」みたいな、革新的で評価されるものを目指しているわけでも、書けているわけでもないのにだ。
自分の頭の中の沼をスコップですくって、水と砂利(もしかしたら微生物や魚も少しはいるかもしれない)を決まった容器に写すだけの作業である。
現実にはスコップですくう作業はキーボードで打つという作業になるわけだけど、指はキーボードの上を彷徨い、諦めたように頭の上で組んだり、机を叩いたりする。

そして、またキーボードの上に戻る。

書くこと以外でも、何かを表現することは、ひとつのことへ執着することであると思う。
新しい作品、新しい表現、新しい自分、自己の新しい側面、古典の新しい解釈、現代だからこそ新しく見える使い古されたテーマ。
僕は革新的なものを作ろうとは思っていないけれど、新しい記事を(もしかしたらそれが無意味なものであったとしても)、今書こうとしている。

そして、その作業を遂行するために、自分の頭の中へフォーカスしている。
あるいは、文章を書くという孤独で忍耐力を要する作業のわりに、出来上がるものが自分の求めているクオリティに達していないことに辟易しているのかもしれない。
読んでくれている人がどう思うのかはわからないけれど、僕にとっては、そうだ。

もし、この世で一番の才能があれば、
もし、お金が意味を成さなくなるぐらいお金を持っていれば、
あるいは、自分という存在を完全に確証できる理論があれば、

これはたとえである。
なにかしら「ここにいてもいい」という安心感を、僕は求めているのだろうなと思う。

それがどのような形を取っていてもいい。
それがどのような形でもいいからこそ、掴めないのではないかとも思う。
あるいは、掴んでいても実感がない。

「音楽は安心感に属するのか」という問いは、イエスである。
それと同時に自己療養であり、感情の表現でもある。
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